2023年度新聞労連ジャーナリズム大賞・疋田桂一郎賞 受賞者の声(肩書は2024年1月23日の受賞式時点)

【大賞】3件
・障害者不妊処置問題のスクープと一連の報道
共同通信広島支局・下道佳織さん

 取材のきっかけは2020年3月、北海道の障害者支援施設で知的障害のある女性が赤ちゃんを産み落とし、便器に押し込み、殺してしまった事件だった。取材を続ける中、ある関係者が「施設では結婚したら産婦人科に行って避妊することになっている」と話した。その時、違和感はあったが「そうなんですね」と流してしまった。その夜、デスクに報告すると「それは、まずくないか」と指摘してくれ、1年半にわたる取材が始まった。
 施設に電話し、入所者の結婚について尋ねると、「避妊リングやパイプカットをすることが条件」とまるで当然のように話した。取材チームを組み、関係者取材を続け、施設の理事長に直接取材した。結婚や同棲を望む男女が産婦人科や泌尿器科に行くという施設のルールや、処置を受けたカップルのニュースを出した。また、施設のグループホームで同棲し、処置を受けたカップルに取材し、ある女性が「子どもがほしいと思ったことはあるが…」と話した。取材を進め、原稿を執筆する過程で、記事を出せば障害がある人や職員の負担を増やすことにならないかと悩んだ。読者から否定的な意見がくることもわかっていた。出稿についてチームで何度も話し合ったが、最後に背中を押してくれたのは、話を聞かせてくれた方々の言葉だった。
 「子育てをしてよかったと思う」「子どもと幸せになりたいという願いをかなえてほしい」と話してくれた知的障害がある母親。「記事を書いていいのか不安だ」とこぼした時に、「ぜひ書いてほしい」と励まして下さった支援施設の職員。皆さんの協力なしには、このニュースを世に出せなかった。入社3年目で知識も乏しかった私にアドバイスや取材先を紹介してくれた先輩、さまざまな視点でニュースを掘り起こし、伝えてくれた取材チームの皆さん。関わってくれた全ての人たちに心から感謝したい。声を上げたくても上げられない。情報が入らず、人権侵害かどうかわからない。そんな状況にある人が世の中にはまだいる。この声を聞き、届けることが、誰もが取り残されず、生きやすい社会を作ると信じ、取材を続けたい。

・河井克行元法相の大規模買収事件への安倍政権幹部関与疑惑のスクープ
中国新聞編集委員室・荒木紀貴さん

 河井元法相の大規模買収事件の取材を始めて4年が過ぎた。河井夫妻の逮捕・起訴、有罪確定、現金を受け取った地方議員らの刑事処分など、いろいろな節目があり、それなりに事実解明がなされてきたが、河井元法相がばらまいた二千数百万円の現金がどこから来たのかというのは、検察での捜査でも解明されず、ずっと謎だった。私たちは早い段階で、原資は安倍政権の中枢からもたらされたという情報を得て、記者は日常業務の合間を見つけて取材を続けた。その結果が今回、スクープした手書きメモの存在だ。
 このメモには当時の安倍首相や菅官房長官、二階幹事長、甘利選対委員長という自民党・安倍政権の中枢の4人の名前があり、現金6400万円を河井元法相に提供しているとうかがわせる内容だった。このメモを見て、事件の全体像が見えた気がした。政権中枢から多額の裏金が流れ、それが大規模買収事件を引き起こしたという全体像だ。このメモは河井夫妻の裁判には提出されず、闇に葬り去られていたが、その存在を知った瞬間に、国民に知らせるべき重要なニュースだと確信した。
 今回のスクープは検察当局が河井氏の自宅を家宅捜索した際にメモを発見し、押収したという動かぬ事実の報道だった。このニュースをわれわれが報じれば、他の大手メディアを含めて後追いがあると思っていたが、今もわれわれ以外に報じていない。私たちがそれによってぶれることはまったくない。この原資の出どころを突き止めていくことで、今の政治の課題を明確にできると考えている。現在の自民党派閥の問題とも通底しているのではないかと考えている。
 政治家にとって使い勝手のいい不透明な金をできるだけなくしていくことが今、日本の政治に求められている。われわれの地元の広島選出の現在の首相は、きちんと真正面から向き合ってほしい。地方紙としては東京の取材が中心になるので、非常に制約が多い。できることは全てやる、という気概で今も取材を続けている。空振りに終わる取材が大半な中、今回の受賞は取材班を励ましてくれた。さらに奮起して、取材と報道を続けていくことを誓う。

・人権新時代
西日本新聞社会部・山口新太郎さん

 企画の大きな柱は部落差別問題だ。水平社宣言100年の節目に併せて、部落差別を問い直そうという狙いで始めた。本紙には1980年代に先輩記者が部落問題を真正面に取り上げたキャンペーン「君よ太陽に語れ」を展開した歴史がある。以降、「人権の西日本」を掲げている。この中軸にあるのは、報道機関が自らを律するさまざまな努力が必要だとしても、同時にそれが取材の萎縮や報道の抑制につながってはならないとする「書いて守る人権」という記者の姿勢だ。望外の評価は、私たちの姿勢が評価されたと感じている。
 企画の中核となった連載が、被差別部落出身の西田昌矢記者による「記者28歳 私は部落から逃げてきた」です。私たちが「部落問題を取材している」と周囲に伝えると「部落問題ってまだあるの?」とよく言われる。西田記者の取材は、迫真性を持って当事者として書くことにより、大きなインパクトと強い説得性が伝えられると思い、準備を進めた。ともすれば、記者本人だけでなく、家族にもあらぬ中傷が届く。差別が起こるかもしれないと非常に憂慮した。取材班は取材を通じて識者や活動している人にリスクをどうしたら減らせるか、あるいは若い記者が勇気を奮って書く記事をどのように書けば共感をもって読者に読んでもらえるのか議論を重ねて記事化した。
 部落問題に限らず、取材や執筆に慎重を要することは基本だ。例えば、病気やけがによる外見上の特徴で差別や偏見にさらされる「見た目問題」にせよ、同性婚訴訟にせよ、さまざまなテーマで記者は悩みながら、何を書くべきか、どう書くべきかを考えながら続けてきた。白黒付けられない話でも取材を尽くし、どういう書き方なら本質が伝わるのかを価値判断の根拠にしている。
 企画は2021年末にスタートし、今も続いている。最近の企画は23年12月に掲載したハンセン病宿泊拒否から20年を機にした連載だ。熊本県にある国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園の入所者が熊本県内のホテルから宿泊を断られ、ホテル側からの謝罪とも言えないような謝罪を受け入れない様子が放送されたことにより、全国から誹謗(ひぼう)中傷の文書が届いた問題だ。声を上げて真の理解を求めたり、権利を主張したりするマイノリティーを「弱者は弱者らしくおとなしくしておけ」と見下し、攻撃する差別の様相は、これまで取り上げてきた問題と通底する。
 人権というテーマはとても重い。「取り組むのが大変だ」とか「荷が重い」という声を耳にする。だが、普遍的なテーマだ。報道を取り巻く状況が厳しさを増す中でも、時間と労力をかけて取材を続け、記事を書く意義はとても大きい。人権擁護を掲げる本賞の受賞は、変わらず書き続けていくように、というメッセージが込められていると受け止めた。これからも報道の本分に尽くしていく。

【優秀賞】4件
・連載・キャンペーン報道「アカガネのこえ 足尾銅山閉山50年」
下野新聞社会部・伊藤慧さん

 足尾銅山鉱毒事件で広く知られる足尾は、明治から昭和期に発展し、一時は国内一の銅生産を誇り、人口も宇都宮市に次ぐ栃木県第2位を誇った地域だった。1973年の銅山閉山を機に、唯一と言っていい主要産業を失った地域の衰退は加速し、現在は日光市に合併され、人口1500人余りの過疎地になっている。従来の報道や書籍で紹介される足尾は、明治に渡良瀬川下流域の農地に甚大な被害をもたらした鉱毒事件、その解決に奔走した田中正造の視点を軸に語られることが一般的だった。銅山があった足尾と、渡良瀬川下流の被害地域は100キロ近い距離の隔たりがある。下流は被害者、上流の足尾は加害者という構図でみられがちだった。地元・足尾に根ざす人の視点を重視し、足尾に軸足を置く。足尾が発する声に耳を傾け、私たちが学びながら足尾を捉え直す―。これが企画の出発点だった。
 かつて、銅山で働き、閉山後も足尾で暮らす90代の元鉱員は、銅山の思い出や当時の暮らしぶり、廃れゆく故郷の姿を語ってくれた。住民は銅山を経営した古河鉱業からの自立や地域再生を目指し、もがいた足跡を振り返ってくれた。
 鉱毒事件の足尾―。愛する故郷がこの文脈で語られ続けることへの葛藤も耳にした。銅山は地域に経済発展をもたらす一方で、大きな爪痕も残した。製錬所から出たガスは山の緑を枯らし、その再生は現在も道半ばだ。町内には今も銅山から流れる鉱山排水を処理する施設があり、決壊すれば惨事を引き起こす排水をためるダムが民家のすぐ近くにある。その管理は半永久的に続く。「負の遺産と生きていかないといけない」と不安を口にする住民もいた。
 取材で見えてきたのは、国策としての銅山開発の下で多くの人が懸命に生き、翻弄(ほんろう)された姿だった。そこには下流も上流もない。社会的繁栄を追求した結果として、民衆が置き去りにされる構造。それは現代にも連なる問題と考え、視野を広げ、東京電力福島第1原発事故が発生した福島県、水俣病が発生した熊本県にも足を運んだ。足尾は過去、現在、未来を映す日本の縮図、そんな確信を深めながら連載を続けた。
 今、足尾の高齢化率は60%近い。銅山稼働時を知る住民も少なくなってきた。連載中に亡くなった取材対象者もいた。語り部がいなくなってきているからこそ、今回の連載を通じて足尾の名を令和の世に活字として残せたことは、小さいながら成果であったと考える。連載終了後、ある住民の男性から送られた「捨て置かれたような足尾にふたたび光を当ててくれてありがとう」という言葉が今も胸に残っている。足尾の光と影の歴史の検証は今後の大きな課題だ。しかし、その歴史の価値は計り知れない。そのことを肝に銘じ、足尾に目を向け続けていくことが栃木県の地元紙の大きな使命だと思う。

・ふつうって何ですか?―発達障害と社会
信濃毎日新聞報道部・鈴木宏尚さん

 普段、何げなく使ってしまっている「普通」という言葉。その背後にある「普通」という意識を問い直したかった。デスクをしていると、若い記者につい「記者だったら、こう質問するだろ?」とか「こう書くだろう、普通」とか言ってしまう。その「普通」はとても狭い領域、狭い考えだ。世の中には特性がある人がたくさんいる。その特殊さが「普通」とか「多数派」と衝突する。そういうことが起こらない限り、自分自身が「普通」に安住してしまう。どうしても「普通」と衝突してしまう人というのは存在する。そのことに「普通」の側にいる人は気付かない。それが「生きづらさ」だと思う。
 発達障害という概念はとても曖昧で、広い。成長の過程でさまざまな特性が見られることで、本人が社会生活上、苦しい、生きづらいと感じることが要件になる。現代はとても狭い「普通」に適応が難しい人を生きづらくして、発達障害者にしてしまう社会ではないか。少子化なのに、学校では発達障害の子供が激増している。不登校の子どもも急増している。自殺念慮を抱く若者もいて、引きこもっている人もいる。発達障害の人の苦しさは、不登校や引きこもりと根っこはつながっている。
 根っこにあるのは現代の資本主義だ。農林水産業や単純なものづくり産業が衰退して、残っているのは高度な知識集約型産業と、人相手のサービス業が大半を占める。現代の資本主義が人材に求める「普通」に苦しみ、追い詰められている人がたくさんいることを連載で紹介した。生きづらい人を生み出す社会の仕組みはとても巨大だ。これを崩すことは簡単でない。取材の糸口は、生きづらい人の言葉を聞くことだった。これからの取材で、人々の生きづらさを伝える姿勢を大切にしたい。

・連載「カビの生えた病棟で―神出病院虐待事件3年」
神戸新聞赤穂支局・小谷千穂さん

 この連載は2020年3月、私が本社の警察担当だったときに起こった一つの事件から始まった。6人の看護師・看護助手が虐待の当事者になり、事件取材で病院に出向いたのがきっかけだった。精神科病院に行く機会は今までなかったが、暗い雰囲気で、病院内にカビが生えていて、職員の顔が暗い。今まで見てきた病院とは全く違うことに違和感を抱いた。その後、精神医療に関わる人から「氷山の一角だ」という話を聞いた。今見えているのはほんの一部。見えていないところに精神医療の深い闇があると。これは一つの事件として終わらせてはいけないと取材を続けた。
 精神医療の課題として、20年、30年に及ぶ長期入院がある。隔離され、身体拘束が法律で認められて当たり前になっている。虐待が起こりやすい環境がある。虐待があった神出病院の特徴は、組織が成り立っていないこと。理事長は安倍元首相とのつながりがあり、安倍首相との関係を維持するために大金を使う。さらに院長は理事長に好かれるために「稼げる病院」を目指していった。職員に話を聞くと、「患者を人として見られなくなっていた」「お金に見えていた」という発言があった。
 認知症の方や、誰もがなりうる心の病を抱えた方が安心して行ける場所であるはずの精神科病院で、このようなことが起こっていた。それが神出病院だけでなく、どこでもあり得ることがわかった。今回、記事にしたのはほんの一部。無力感を感じている。虐待事件から3年の間にも、東京の滝山病院で同じような事件があった。精神医療の状況はほとんど良くなっていない。もやもやしたまま連載を終えた。これからも精神医療を追い続けたい。

・防衛力の南西シフトなど、激化する沖縄の基地負担に関する一連の報道
琉球新報東京支社報道部:明真南斗さん

 2022年末の安保関連3文書の改定をきっかけに取材を始めた。もともと過剰な基地負担を負う沖縄でさえ、自衛隊が増強されていくことが判明した。沖縄の状況から始め、奄美群島、台湾も取材した。地方紙ながら、全国的な問題や、中国・台湾との関係にどう向き合うかということに挑戦した。「戦争のために二度とペンを執らない」という考えを、沖縄戦があった沖縄の記者は常に意識している。この連載では、この考えが原動力になった。政府がどのように自衛隊を増強しようとしているかをただ伝えるのではなく、政府が言っていることの裏に何があるか、実態との違いを意識して報道した。同じ沖縄から八重山毎日新聞と一緒に受賞できたことはありがたい。米軍基地の負担に加えて自衛隊の増強が日々進んでいる。報道しないといけないことはたくさんある。「戦争のために二度とペンを執らない」ということを肝に銘じて頑張りたい。

【特別賞】3件
・関東大震災に際しての朝鮮人虐殺事件を巡る一連の記事
毎日新聞:後藤由耶さん、南茂芽育さん、栗原俊雄さん

 関東大震災と朝鮮人虐殺をテーマにする際に考えたのは、「100年後の訂正記事を出そう」ということだった。1923年9月1日の関東大震災では、朝鮮人暴動という事実に基づかないデマが流れ、毎日新聞の前身である東京日日新聞など各紙が事実のように報道した。人の命に関わり、民族の尊厳を踏みにじる、あってはならない誤報だ。一方、各紙とも誤報の事実を認めて検証することはほとんどなかった。私たちは誤報から100年の節目に検証を始めた。虐殺された人の遺族、歴史学者、メディア史の専門家、虐殺を語り継ぎ追悼を続ける若者たちの協力を得て取材を重ねた。
 虐殺は、国や行政の「証拠は見当たらない」という言葉でうやむやにされようとしている。それでも半世紀以上、犠牲者を忘れず、手を合わせ、証言を掘り起こしてきた人たちがいてこそ、私たちは報じることができ、力をもらった。その皆さんに敬意を表したい。虐殺から100年を経た今も、当時の新聞を基に「朝鮮人によるテロがあった」とデマを流している人がいる。私たちは歴史修正主義やヘイトスピーチについても繰り返し記事にしてきた。行政や司法がヘイトをヘイトと認定するには長い時間がかかる。その間もヘイトスピーチは再生産され続ける。だからこそ、私たちは綿密な取材をした上で、行政の判断を待たずに「これはヘイト、差別だ」と判断し、指摘をしてきた。普段の取材ではない苦労もあった。
 知人に「いまさら蒸し返す必要があるのか」と問われたこともある。訂正記事というのは、面倒くさくて、楽しい作業ではない。100年前の訂正記事を出すに当たってモチベーションになったことがある。ここ数年、静かに平穏に行われていた両国の朝鮮人犠牲者の追悼碑前での9月1日の営みの様子が変わっている。「朝鮮人虐殺はなかった」と主張する集団が「自称」追悼式を始めた。本当にひどいヘイトスピーチだ。朝鮮人が殺されたのは、テロ行為を計画したため自警団がやむなく殺した―というようなことを拡声器でがなり立てていた。いくらなんでもひどい。そんな人たちに「おかしいでしょ」と話しかけると、「だって毎日新聞の前身の新聞にも書いているだろう」と言われる。誤報だということを総括して検証する機会がなかったためだ。ちゃんと誤りを認めて訂正しているぞ、ということをしたかった。後ろ向きの訂正記事ではなくて、新しい訂正記事が出せたと思う。

・長崎県の離島を巡る一連の報道
長崎新聞五島支局:角村亮一さん

 五島列島や壱岐・対馬にある支局の4人の記者で取材した。歴史や文化、自然の特色がそれぞれにある。離島振興や課題の解決に向けた情報発信を心掛け、さまざまな視点で島の今を切り取ろうと努めてきた。本土の担当デスクと定期的にテレビ会議システムを使って議論し、島の日常や郷土料理の特集、人口減少で引き起こされる課題と対策、「核のごみ」問題など幅広い視点で記事を展開した。記者の年代、社歴、性別が異なるチームだったからこそ、多様なアイデアが生まれた。
 対馬支局長が取材した「核のごみ」問題では、最終処分場計画に賛成反対に島が二分する中で、島の動きをつぶさに追いかけた。後に彼はコラムで「過疎化が進む島で、一島民として何ができるか、知恵を絞りたい」と記した。島の支局は取材対象との距離感が近く、近いがゆえの難しさを感じることもある。彼はぶれずに島民の声に耳を傾け、問題提起した。その姿勢は私たち取材班も刺激を受けた。
 離島は数年先の課題を先取りしていると言われる。人口減少は深刻だが、なんとか島を盛り上げようという人と出会ってきた。全国で最も島が多い長崎県の地元紙として、一島民として島の課題と真摯(しんし)に向き合い、丹念に伝えたい。

・連載「自衛隊南西シフト」~国境の島・与那国と八重山諸島を中心に~と一連の報道
八重山毎日新聞編集部:三ツ矢真惟子さん

 受賞をきっかけに日本最西端の島である与那国島や八重山諸島で起きていることへの関心が高まって、現地の声を全国に届ける機会になればうれしい。八重山毎日新聞社は沖縄本島から西に400キロ離れた石垣島に本社があり、八重山諸島全域をカバーしている。八重山諸島の行政区には石垣市、竹富町、与那国町がある。私が担当する与那国町は台湾から110キロ東にあり、石垣島より台湾が近いという国境の島だ。自衛隊を沖縄や奄美大島といった南西地域にシフトする動きは、与那国町への沿岸監視部隊の配備が八重山地域では最初に行われた。それが2016年だった。
 19年から20年にかけて、奄美群島や宮古島にミサイル部隊や警備隊が配置され、23年に石垣島にもミサイル部隊が配備された。この地域で最初に自衛隊を誘致した当時の与那国町長は「人口減少に歯止めをかける」ということを目的に誘致を決めた。着工後に住民投票も実施した。一方、22年末に明らかになった与那国町へのミサイル部隊配備は、町からの説明は一切なく、防衛省の予算案、つまり国の発表で突然知らされた。この2か月前の10月には八重山では初の日米共同訓練が与那国島で行われ、沖縄県内では初めて公道を戦闘車が走行した。ミサイル部隊配備計画が明らかになる1週間前には安保関連3文書が閣議決定され、先島地域(八重山・宮古)に関する記載もあった。
 加速度的に事態が進む中、なにか書かなければいけないと常に感じていた。そこにミサイル配備計画が出てきて、町民からは「安心して年も越せない」といった声が多く寄せられた。これが連載の直接的な動機になった。改めて関係者に取材し、自分たちが置かれた状況を体系的に理解して、今後の進むべき道を自らで考えるための土台になるよう努めた。与那国町民や八重山の島民と一緒に頂いた賞だと思う。

【疋田桂一郎賞】1件
・レイシャル・プロファイリングを巡る一連の報道
バズフィードジャパン ハフポスト編集部:國﨑万智さん

 取材のきっかけは、ドレッドヘアの外国ルーツの男性が警視庁の警察官に声を掛けられ、「あなたみたいな髪形の人は違法薬物を持っている可能性がある」と職務質問を受けた、という動画が問題になったことだった。私は動画を見て、「この人だけではなく、日本で暮らす外国ルーツの多くの人が経験することではないか」と思った。一過性の報道ではなく、調査したいと思いアンケートを取った。
 ナイジェリアにルーツがある中尾英鈴(えいべる)さんという男性は、日本で生まれ育ったにもかかわらず、高校卒業時から警察官に頻繁に職務質問を受け、「君みたいな系統の人は違法薬物を持っていることが多い」とも言われた。日本の友達と一緒にいるのに自分だけ声をかけられ、「在留カードはないのか」と問われるといった経験を繰り返している。差別的な職務質問は、彼だけでない。私がアンケートした300人以上の人から似たような経験談が寄せられた。
 警察庁にも取材したが、警察庁は「差別的な職務質問(レイシャル・プロファイリング)は起きていない」という認識で、内部文書でも「批判を受けないように注意してください」というような認識だった。人権侵害であることを認識していないということがわかった。取材した元警察官からは「特に外国人に対して職務質問をするように、という差別的な教育を受けていた」という証言も得た。
 レイシャル・プロファイリングは決して新しい問題ではない。日本社会にずっとあったことだ。私自身、新聞記者時代に警察担当をした時期があったが、この問題に気付かなかった。この問題がずっと日本社会にあったにもかかわらず、明るみに出なかったのはメディアに責任がある。メディアに多様なルーツ、多様なバックグラウンドがある人がいれば、この問題はもっと早く認識されたのではないか。警察庁は昨年、内部調査をして、たった6件で不適切さを認めて幕引きを図ろうとしている。私はこれで終わらせてはいけないと思う。受賞は「もっと取材をしろ」という励ましだ。当事者の声を届けることはもちろん、警察内部の差別を明らかにしなければいけない。

【専門紙・スポーツ紙賞】1点
・3本指に込められた思い
日刊スポーツ:平山連さん

 日刊スポーツは1946年に創刊した日本初のスポーツ新聞だ。全国に取材拠点があり、各種スポーツやレース、芸能など幅広い分野で取材している。自分は大相撲担当だが、担当分野にかかわらず柔軟に取材できる環境が受賞につながったと思う。2026年のサッカーW杯に向けて日本代表が2次予選を戦う中で、この受賞作はいわゆる「前もの記事」として紹介した記事だ。
 21年のW杯予選の日本・ミャンマー戦でベンチにいたゴールキーパーのピエ・リヤン・アウンさんが、国歌斉唱の際に3本指を立ててミャンマーの軍政に対して反対の意志を示すことがあった。今回は彼のその後を追った。彼に出会ったのは偶然だった。日暮里にできたミャンマー料理店「SRR」のランチバイキングを何度か利用しているうちに、気が付いたら彼が店員として働いていることを知った。取材者の私自身がそうだったくらいだから、彼が難民認定を受けて日本で暮らし、ミャンマー料理店で働いていることはほとんど知られていない。難民支援組織や日本語ができるミャンマー人の力も借りて、彼の話を聞いた。紙面では最終面で大きな扱いになり、スポーツ紙らしいキャッチーな見出しと効果的な写真で報じることができた。
 今後も足元から地球儀を見渡すような取材をしたい。それと、ぜひ記事をきっかけに彼のミャンマー料理店に足を運ぶ人が増えてほしい。ランチバイキングはとてもおいしい。ピリッと辛いひき肉料理もあり、1500円でおなかいっぱいになる。日暮里駅からも近いので、店に寄って、彼と話をしてほしい。