「賃下げ分社化」百害あって一利なし
地域報道を考える集会@徳島に寄せて
<新聞労連委員長談話>
2024年3月17日 新聞労連中央執行委員長 石川昌義
全徳島新聞労組は、一般社団法人徳島新聞社(徳島市)が人件費削減策として提案した編集部門分社化の白紙撤回を要求して闘っています。新聞労連はこの闘争を全面的に支援し、全国の仲間にも支援と連帯を呼び掛けています。
今回の会社の提案は、来春の新入社員からの新入社員採用を一般社団法人では一切取りやめ、低賃金の別会社「株式会社徳島新聞社」を新設し、今後の採用をすべて新社に切り替える前代未聞の内容です。未来の新聞を支える次世代を搾取し、職場に格差と分断を生む悪質な分社化・合理化の提案に新聞労連に結集する新聞労働者は強い危機感を覚え、闘争支援に力を注いでいます。
徳島新聞社の分社化は特異なものであることから、社会的に注目されています。3月14日に全徳島新聞労組と、関連会社社員を組織する関西新聞合同ユニオンが決行したストライキも相まって、大きく報道されました。
今回の闘争への注目が広がる中で、闘いの在り方について「新聞産業の中であらゆる職場の外部化は相当進んでいるが、これまでなぜ止めなかったのか」「記者が分社化のターゲットになっているから問題視するのか」などの受け止めもあります。
新聞労連は、これまでも全ての分社化に対して反対の方針を一貫して維持してきました。1980年代には、カラー化・増ページ・増部数が進む中で、全国紙を中心に本社屋以外で複数の「サテライト工場」建設が一気に進み、それらの工場が分社化され、工場で働く仲間への賃下げの動きが相次ぎました。この時、新聞労連は「本紙は本社員の手で」をスローガンに分社化反対闘争を展開しています。
地方紙にも印刷工場の分社化提案が広がり、2005年の下野新聞社(宇都宮市)の印刷部門の分社化提案を受けて全下野新聞労働組合は全面ストや法廷闘争を含む闘いを展開しました。2012年には愛媛新聞社(松山市)の印刷新工場稼動に合わせた分社化提案に反対して愛媛新聞労組が闘争を展開。分社化は強行されたものの、新会社「ENPプリント」に労組を組織する活動に愛媛新聞労組が中心になって取り組み、ENPプリント労組は新聞労連に加盟しています。このようにして新会社の職場に生まれた新たな労働組合は新聞労連の仲間に加わり、全国の仲間と連携して労働条件向上の闘いを続けています。
2010年ごろから顕著になってきた、紙面整理部門の分社化については、別会社への業務請負契約とする形になるにもかかわらず、社を超えた指揮命令が行われるなど「偽装請負」的運用がなされることなどを指摘しながら、反対の声を上げ続ける労組も多数あります。
取材記者職も例外ではなく、中国新聞社(広島市)は2000年代半ばから山口県内の取材記者を別会社で採用し、本社に逆出向させた上で、待遇差を放置しながら同じ取材業務に当たらせていました。中国新聞労組の粘り強い問題提起を受け、会社は2013年に逆出向を解消し、関連会社社員を本社員として迎え入れています。
京都新聞社(京都市)は2005年に印刷会社、営業総務系の「京都新聞COM」社に分割する「グループ経営」態勢を提案しました。1年半に及ぶ交渉を経て、分社化自体は阻止できませんでしたが、その後印刷会社やCOM社の社員も京都新聞労組に加入し、今も一つの組合として共に闘い続けています。
経営は、こうした分社化提案にあたってはいずれも本社員の労働条件に手を付けずに新会社に出向させる手法を取り、「義務的団交事項に当たらない」「社の専権事項である」との主張を押し通し、結果として組合員の反対の声を無視する形で強行しています。
このように法律のスキームでは極めて難しい闘いを強いられますが、新会社で組合を組織化したり、本社員化を勝ち取ったりする闘いの成果を上げています。全徳島新聞労組の分社化闘争では「低賃金の別会社では人材確保に窮する」と主張し、分社化撤回の経営判断を社に迫っています。
新聞社の分社化攻勢は執拗で、いつまでも続きます。これには、新聞労連が歴史的に、闘いの方針として編集も制作も工務も、全ての職場の仲間は同じ賃金体系であるべきという要求を貫徹し、幾度もの分断攻撃に抗して闘ってきました。
新聞労連は、これからもあらゆる労働者の権利向上のために闘います。時代はさらに進み、様々な雇用形態の仲間が机を並べて働く状況の中でも、労働者の分断に抗い、「同一労働同一賃金」を掲げて要求を構築し、闘い続けます。
新聞産業は今後、取材業務だけで成り立つ構造ではなくなっていきます。製作系の技術力や営業系のマネタイズ戦略などの連携が、ジャーナリズムを持続させるために重要になってくることは明らかです。
新聞労連は、全ての職場の分社化に反対し、闘い続けます。
以上