「批判もする友人」が共存する世界を目指して ――サウジアラビア人記者殺害は対岸の火事ではない――
2018年10月24日
日本マスコミ文化情報労組会議
議長 南 彰
サウジアラビア人記者がトルコのサウジアラビア総領事館で死亡した事件で、トルコ政府が「事前に計画された殺人だった」と認定しました。亡くなったジャマル・カショギ氏は、サウジアラビア政府の独裁的な政治のあり方を批判し、同国の内外に警鐘を鳴らしてきたことで知られるジャーナリストでした。自らの意に沿わない言論を権力や暴力で封殺する行為は、人類が積み上げてきた表現の自由や民主主義に対する冒とくです。
しかし、欧米諸国が非難の声明を出すなか、日本政府の対応は後手に回り、メディアの報道も時に国際政治のパワーゲームの視点に偏りがちです。「表現の自由」の価値と向き合っている社会であるのかが、いま、問われています。
同じことは、フリージャーナリストの安田純平さんの拘束事件についても言えます。日本政府が10月23日、「解放された」と発表しましたが、発覚からの3年間、「誰も報じなければ、現地の状況は伝わらない」と現地取材に取り組んできたジャーナリストの拘束にどれだけ私たちは心を寄せてきたでしょうか。安田さんやその家族に対して「反日」「自己責任」といった中傷の言説が広がっている状況も見過ごしてはなりません。
私たちの足元をみると、メディアに対する攻撃が相次いでいます。
兵庫県西宮市の今村岳司市長(当時)は今年1月、読売新聞記者に「殺すぞ」「落とし前つけさすからな」と恫喝。足立康史衆院議員(日本維新の会)は自身のツイッターに「朝日新聞、死ね」と投稿し、国会審議で同紙の加計学園問題をめぐる報道を「捏造」と発言しました。政府のスポークスマンである官房長官の記者会見をめぐっては、政府見解の真偽を問いただす記者への取材制限や誹謗中傷、殺害予告まで起きています。サウジアラビア人記者殺害事件は決して対岸の火事ではないのです。
「批判もする友人(critical friend)」という言葉があります。
国連特別報告者のジョセフ・カナタチ氏が、特別報告者の役割を問われたインタビューで語った言葉です。ある人や国が間違ったことをしそうになった時に、それを指摘する友人という意味が込められています。この役割を、日本社会の津々浦々で担っているのが、日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)に集うメディア関連の仲間たちです。
表現の自由や報道の自由の価値を、改めて市民と確認し合いながら、「批判もする友人」が共存する、強くてしなやかな日本社会、国際社会を目指して力を尽くします。
以上
日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)
(新聞労連、民放労連、出版労連、全印総連、映演労連、映演共闘、広告労協、音楽ユニオン、電算労)