沖縄・慰霊の日 平和へのメッセージ

戦後77年目の慰霊の日である6月23日、新聞労連沖縄地連が平和のメッセージを発しました。以下、掲載します。

沖縄・慰霊の日 平和へのメッセージ

日本新聞労働組合連合 沖縄地連委員長・知花徳和

 ことし5月の大型連休から続く沖縄地方のぐずついた天気は、慰霊の日を前に、突き抜けるような、青く、沖縄らしい空を取り戻しました。長く感じられましたが、沖縄気象台が統計をとりはじめた1951年以降、12番目に早い「梅雨明け」です。
 一方で、長期間にわたり人類に脅威をもたらした新型コロナウイルスの感染はいまだおさまる気配がありません。その様な中で、沖縄は戦後 77 年目の慰霊の日を迎えました。ここに、沖縄戦で戦没されたすべての御霊に対し、謹んで哀悼の意を捧げます。

 沖縄では、先の大戦において日本で唯一、地上戦が繰り広げられました。戦いは凄惨を極め、日米合わせて20万人余が犠牲になり、このうち12万2千人の県出身者が亡くなりました。民間人の死者が際だって多いことが沖縄戦の特徴です。あの戦争の惨禍において無情にも失われた多くの命を悼み、再び沖縄の地が戦場となることがないように、私たちは不断の努力を改めて決意しなければなりません。

 そして今年は、沖縄が日本に復帰して50年となる節目の年でもあります。米国統治下の27年間とその後の日本復帰を経験した沖縄は、年間を通じてさまざまな報道や事業が続いています。しかし、復帰時、沖縄が求めた「即時無条件全面返還」はいまだ実現していません。米軍基地は存在し続け、さらなる基地強化が進む中で「基地のない平和な沖縄」への道はほど遠い現状です。名護市辺野古では、県民投票 7 割「反対」の民意が示されたにも関わらず、政府は民意を黙殺し新基地建設の埋め立て工事を進めています。

 ロシアのウクライナ侵攻は、世界中に衝撃をもたらしました。対立と増え続ける犠牲に、沖縄戦体験者らは記憶を思い起こして悼み、加速する軍拡に危機感を募らせ、「ひとごとではない」と思っていることでしょう。戦後77年目を生きる私たちひとりひとりが、改めて平和を問わなければなりません。

 新聞人もまた先の大戦の戦禍に巻き込まれた犠牲者でもあります。那覇市にある「戦没新聞人の碑」には、沖縄戦で戦没された14人の新聞人の名前が刻まれています。
 戦時中の新聞は政府・軍部による圧力に屈して、国民世論をあおり、戦争を推し進める一翼を担ってしまいました。権力を監視して、国民を守る立場に立つ本来の「新聞」の役割を見失いました。戦後、新聞人は戦争協力への深い自責と反省の下、再出発を果たしました。凄惨な戦火の中で、最後まで新聞を守ろうとした先輩方に敬意を表すると同時に、私たちは歴史の中で新聞人がたどってきた役割と責任を忘れてはいけません。

 政治の世界に目を移せば、参院選が公示され、激しい選挙戦に突入します。9月には、沖縄県知事選のほか、多くの市町村で首長選挙や議会議員選挙が予定されています。ロシアのウクライナ侵攻を背景に、防衛費の増額や、憲法9条への自衛隊明記を軸とした改憲に向けた論議が進む可能性が出てきています。

 二度と戦争の足音が再び聞こえてくるような状況をつくらず、戦前・戦中の反省に立ち、県民・国民の命を守る新聞人の使命を今こそ全うするとの思いを、共有しています。

 コロナ禍で集会等の開催が困難になりました。見方を変えれば、「オンライン」という手法で、場所と時間にとらわれることのない、新しい連帯のあり方が進んでいます。引き続き、全国の仲間とともにこの日の重みを共有し、平和への願いを発信します。

2022 年 6 月 23 日

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