【販売正常化を求める闘い】(2004年度運動方針案から)

【販売正常化を求める闘い】(2004年度運動方針案から)

  1. 新聞販売について理解を深めよう。
  2. 無代紙の追放、発行本社の連座制を確立させよう。
  3. 販売店労働者の権利拡大を進めよう。

新聞販売について理解を深めよう

 新聞の発行部数は97年をピークに減少に歯止めがかからず、各社とも有効な手だてのないまま部数第一主義の姿勢に変化は見られません。新聞という「商品」に対して、読者が「必需品」から「読みたい人が読む」ものへと意識を変化させています。これまでのような販売方法で果たしていいのでしょうか。強引な販売方針は、景品の高額化、無代紙の横行など過当販売競争の激化を招き、結局、読者の新聞への信頼をおとしめることになります。販売正常化を掛け声だけにせず、正面から取り組むことが大切になってきています。
 そのためには、販売の問題が組合員全体に共有されなければなりません。販売正常化の課題を、販売職場だけの問題に矮小化せず、組合全体で考えていけるような環境づくりを進めましょう。まず販売の実態について理解を深めることから始めましょう。編集・制作など普段あまり交流がない場合が多いため、販売の正常化といってもピンとこない人が圧倒的ではないでしょうか。本社と販売店との関係、販売店の活動、販売拡張、販売労働者の実態などについて学習会や交流などで理解を深めていきましょう。

無代紙の追放、発行本社の連座制確立を

 公正競争規約を「改正」し、景品提供を解禁してから6年になろうとしています。当時、景品解禁の最大の「大義」となったのが、「無購読層への新聞の普及の手段」というものでした。しかし、この間の販売部数の推移は、そうした「大義」が何の根拠もなかったことを証明しています。逆に高額景品提供の手法が温存され、無代紙提供の横行など、不正常販売の根絶などほど遠いのが実情です。また、定期購読者に対する高額景品の提供の事例も増えており、このままでは景品を付けなければ新聞は買わないという消費者の「習慣」を定着させてしまうことになってしまいます。これがどれほど新聞販売の常道からはずれたことであるかを、冷静に見つめ直す必要があります。新聞に関係する業界団体は、ことあるごとに「販売正常化」を口にしてきましたが、その実現性ははなはだ疑わしい限りです。販売正常化を進めるには、無代紙の追放、発行本社の連座制の確立が必要です。読者や販売店・日販協との対話・連携を強めながら、新聞協会や新聞公正取引協議委員会(中央協)に対して販売正常化を粘り強く訴えて、監視の輪を広げていきましょう。
 著作物再販制度のなし崩し的な見直しが公正取引委員会主導で進められていますが、その存続に向けた取り組みを再構築する必要があります。再販制度が言論・報道の自由を経済的な観点から保障させている制度であるという原点に立ち返って、読者・市民への理解を得る取り組みを強化していかなければなりません。同時に「運用の弾力化」について、販売職場の仲間を中心にその許容度について理論的に確立する必要があります。販売正常化の実現なしに再販制度の維持はあり得ませんが、同時にたとえ販売正常化が実現しても、再販制度が守られるわけではありません。地連・単組でも再販を守る独自の取り組みを模索していきましょう。

販売店労働者の権利拡大を

 一昨年から始まったなし崩し的な休刊日発行は、今年も休刊日が全国紙を中心に年間10日になるなど、事実上固定化されてしまいました。休刊日発行については、日販協など販売店を中心に反対の声が上げられていましたが、労連として全体的な議論になっていないというのが実状です。
なし崩し的な休刊日発行は、配達できる地域とできない地域とを二分化させ、戸別配達制度の崩壊と過当販売競争の激化につながりかねない問題です。同時に、休刊日を減らすことは新聞販売店の労働条件の低下につながるという点で、見過ごすことのできない問題です。
 もともと休刊日年12回の実現は、販売店などが中心となり労働条件向上のたたかいとして勝ち取ったものでした。これを「読者ニーズに応えるため」というだけで、何らほかに手当をすることなく奪い去ってしまうのはいかがなものでしょうか。とりわけ、新聞販売店労働者の多くは不規則な労働時間と低賃金など劣悪な労働条件の下で未権利の状態におかれています。新聞産業はこうした労働者の下支えの上に成り立っています。休刊日に対する考え方は組合員の中でも多様ですが、たんに販売正常化を阻害する要因としてだけでなく、販売店労働者の権利拡大という視点からも取り組んでいく必要があります。まず、各単組で議論しながら、休刊日のあり方についても模索していきましょう。

新聞の魅力・力のアピールを

 新聞を読んでいない人たち、とりわけ若年層に新聞が読まれるようにするための方策を労使の枠を超えて考えることが重要になっています。インターネットなどでは体験できない新聞を読む楽しさ、新聞が文化・芸術・スポーツの普及や社会で果たしている積極的な役割など「新聞の力」についての理解を深めてもらうよう、会社や新聞協会などとは違った取り組みが求められているのではないでしょうか。